この本が出版されたのは、1968年で、当時は仏教学者と哲学者が共同で本を作るという試みは斬新だったとの事。
第一部の歴史・思想編を仏教学者が執筆し、第二部は仏教学者と哲学者との対談、第三部の思想展開編は哲学者が執筆するという構成。
第三部の梅原猛さんの「仏教の現代的意義」のソクラテスやイエス・キリスト等の話も参考になると思う。
梅原猛さんは当時、43歳との事。
メモ
- 2022.3.23読書開始
- サンスクリット: 作られたことば
- プラークリット: 自然の言葉
- ゴータマの教法は初めはプラークリットで語られてセイロンに伝わって現在まで伝承されているのがパーリ語の諸経典
- 三蔵{経、律、論}
- セイロン所伝のパーリ三蔵は上座部所属で大乗経典は含まれていない
- 教相判釈
- 天台智顗の「五時の教判」
- インド学
- ウィリアム・ジョーンズ「アジア協会」
- マックス・ミュラー
- 部族社会から市民社会へ
- 新しい思想家
- 新しい思想家の共通点
- 否定{ヴェーダの権威、祭祀の至上性、ブラフマン的社会制度}
- 思想の基底は現実所与の対象そのもの
- 個人格を中心として学派を形成
- 縁起の法の基本的性格
- 縁起
- 如性: あるがまま
- 不離如性: 如性を離れていない、虚妄でない
- 不異如性: 如性と異ならない
- 相依性: ここに依っていること。すべては原因と結果の関係のなかにある
- 縁起は如来がこの世に出ようと出まいと定まっている
- 縁起は法として定まり法として確立している
- 哲学の存在論の三つの型
- {造られしもの,ただ有るもの,なるもの。生成または消滅するもの}
- 縁起
- 「無常」と「無我」はゴータマのごく初期の思想の中には姿をあらわさない
- 初転法輪「四諦説法」の中にも「無常」「無我」という語は無い
- 蘊(五要素)
- 肉体{色:物質}
- 精神{受:感覚、想:表象、行:意志、識:意識}
- 五要素の各々「常?」「我?」を問う
- 「六処相応」(六処について無常かどうか?)
- 六処:六根{眼耳鼻舌身意}と六境{色声香味触法}
- 自己に関する固定観念の否定
- 「我所」の否定。存在が無常である限り我が物は有り得ない
- 「我」の否定。絶対的な自我の否定
- 「我体」の否定。「体」: 不変の本体、本性、本質。一般的には霊魂
- 実践の体系としての「四諦」{苦、苦の生起、苦の滅尽、苦の滅尽にいたる道}
- 四諦{苦、苦の生起、苦の滅尽、苦の滅尽にいたる道}
- 二つの極端{諸々の欲望に愛着、苦行}
- 中道:聖なる八つの道{正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定}
- 「渇愛」あるがゆえに「苦」がある。
- 「苦の滅尽に至る道」「順苦滅道諦」略して「道諦」
- 否定されるべきものは激越な欲望
- 越度の欲望[渇愛もしくは貪欲]:あますことなく滅し、捨て、去り、脱す
- 「無記」善悪を区別する以前に立つ
- 「禁欲主義」も「快楽主義」も極端:「中道」
- ソーナという比丘の琴の話。絃は強過ぎても弱過ぎてもいけない。「中」を採らねばならぬ
- 同時代、アリストテレスが「中庸」(メゾテス)を行徳の基本概念とした。
- 「中」とは算術的比例における中項にあらず(アリストテレス)
- バランスのとれた欲望の処理の仕方が「中道」
- ガヤシーサー(象頭山):イエス・キリストの「山上の垂訓」に比してブッダ・ゴータマの「山上の説法」
- 2022.5.7 読了
- メッター: シナの訳経者達は「慈」と訳出下が原語の意味を探って見ると「友情」
- 人間関係
- ヤスパースは、紀元前8世紀〜3世紀頃の時期を枢軸時代と呼んでいて、この時代にその後の世界を指導した聖者が現れた。
- {ソクラテス、ブッダ、孔子、第二イザヤ(イエス・キリストの先駆者) }
- 悟ってしばらくしてからブッダは不思議な不安を感じた。その不安とは「孤独」。この世に誰も自分と同じ思想を持っているものがいない。人間と人間との結びつき無しには、人はこの世で生きられない。
- 人間関係
- ブッダの心理描写は悪魔説話や梵天説話
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