吉野木三448

ヨシノキミ…何かのアナグラムみたいな… 読書、アニメ、ドラマについてのメモ、謎のノート、日記

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光のセミナー 19 宇宙暦5(319) メモ6

馬の順序

1:34:11~1:37:16
だから、私も最初のうちはこんな事を言って大丈夫かな?と思っていたんですよ。やっぱり、そういう一種の疑いの気持ちが起きますと、こういう事が次々と起こって参りました。勇気を出して人前でこういう話をしなさいと言われているように私は自覚しております。皆様も勇気を出してお話なさってみてください。よろしいですか?高橋信次先生の言葉に《智慧と勇気と努力》とありますが、あれ、こう書くから勘違いしちゃう。
勇気 こんな漢字を当てはめちゃうから、いつまで経っても勇気が出てこない。これは、こう書くんです。
言う気
これやってよ。解った?こっちの「言う気」が必要なんですね。どうして、こんな「言う気」という言葉を此処に広げ出したかというと、これから話す事は本当に勇気が要るの。みんなに笑われちゃうだろうと思うんだけれども、これが色々と彼方此方で真剣に受け止められているので私の方もびっくりしているところです。で、 これ、沢山事例があるんですけれども、そのうちの一つ二つをお話しながら皆さんにご理解いただきたいと思います。それはどういう事かと言いますと、先程、ちょっと消しましたけれどもバベルの塔の一番上の馬ですね。あの馬は第14課の「天の軍勢224」に出てくる。すなわち七つの封印の第一の封印を解きますと白い馬が出てくるんですね。それに乗っている方は弓を手に持って勝利の上ににもなお勝利を得ようとして出てくるんですね。。第二の封印を解きますと赤い馬が出てくる。第三の封印を解きますと黒い馬が出てきます。よろしいですか?そうして第四の封印を解きますと青白い馬が出てくる。この青白いの言葉の中にも~入っていますね?青でもあるし白でもあるという事は赤、黒、青の時には、白も出ますよと。
青 黒 赤 白
という、こういう順序になる。

天の軍勢の話に…

1:37:16~1:39:21
そして、これから皆様が、その服装に関係なく、どんどん会うんじゃないか?と思うんですよ。この5月28日終わっちゃったものですから、こういう会場で例外が無いんじゃないかと、この間の札幌では私、感じて帰ってきました。で、それはそれとして、いいですか?皆様でも相手が解る、天の軍勢という事でお話してありますね?ヨハネの黙示録の第9章と第19章に天の軍勢の服装が書いてある、というお話が出て参ります。そこにはどのような服装が書いてあるかというと、全身、血染めの衣を着て、血染めの衣というのは真っ赤。それから白い麻布の衣という服装が書いてある。だから皆様の前に全身が真っ白か、または真っ赤か、またはその両方をコーディネートした方が出て来たら、その方の家には必ず、白い馬か、今は青い馬の時代ですね?だから青い馬を持っている人が非常に多い、実際に、ありますね?とご指摘してあげる事は非常に親切な事なんですね。だから、色があれだったら白い馬でも結構ですし、白い馬は殆ど普遍的に存在しています。それは意識の世界ですから本当の馬でなくても結構。絵か写真か焼き物か置物か民芸品かオモチャか、あるいは商品のレッテル。そして、そういうものが4つ。そして封印のあと5つ目を開いたって馬は出てこない。馬はこの4種類と聖書に書いてある通りです。

10月10日

1:39:21~1:42:19
そして、それを発見したのが昭和53年10月10日で御座いますので、10月10日が馬の~日ですね。でも、皆様、自信を持って皆様の周りの方に指摘してください。これは大変大切な事なんです。それからもう一つ。その方は今度は「王の王」という印を付けています。それは何を意味するかというと、皮膚の上に何らかの欠点を持っている。何らかの欠点とは何かというと小さい時になさった火傷の跡とか痣とか~ですね。これはうっかりすると大変失礼な事になりますから気を付けていただきたいんですが、今まで私が先程申し上げた服装の方にご指摘申し上げて、これが1回も外れた事が御座いません。ご丁寧な方は必ず鼠蹊部に近いところに持っていらっしゃる。それはビデオで御勉強なさってください。それでは、その常昌院というところは静岡県の岡部町。静岡から、この岡部町に入っていくのに一つの峠を越えなくちゃいけない。その峠は宇津谷峠というところで御座います。現在はトンネルで行きますが皆さんが、その常昌院にいらっしゃる時には必ずご紹介申し上げます。必ず現地の方がご案内してくださいます。静岡の方はご親切ですから。今までも何百人も行っていますね。そして、その常昌院にいらっしゃる前に必ず寄っていただきたいのが、その峠の方の御羽織屋敷。昔、石川さんという方が。現在でも、その石川家が伝わっているんです。何故、そこが御羽織屋敷かと言いますと、天正の確か18年ですか?西暦で言うと1590年。豊臣秀吉公が、その宇津ノ谷峠を越えて小田原に行ったんですね。そして、その時に馬の草鞋。当時は蹄鉄が御座いませんから馬の草鞋を二つ差し上げた。馬は四つ足でしょう?秀吉公が、「これ、おかしいじゃないか?」これじゃ馬は全部履けないじゃないか?そしたら、この村主さんが偉いんですね。「はい、残りはお帰りに差し上げます」。この言葉の中には何が篭っているんですか?今回の小田原征伐は必ず勝ってお帰りになります。その凱旋のお祝いの印に後の残りは差し上げますという大変素晴らしい言葉が御座います。

319〜高麗の話に…

1:42:19~1:45:12
秀吉公は大変感嘆いたしまして、小田原征伐から帰る。その時にどうしたか?といいますと、これはとっても嬉しかったので陣羽織を置いていったんですね。ところが、この陣羽織が、大阪城にあるんじゃないからね。こんなところに置いてあるから、ずっと今でも残っている。参勤交代の大名は、これを参観するのが一つのルールになっているようですね。今、参りますとね、浅野内匠頭という署名まで、ちゃんと残っていますよ。それじゃあ、いいですか?1590年の何時、豊臣秀吉公が、これね、天の軍勢224がすぐ側にある、宇津ノ谷峠の~の中にある。1590年の3月19日に越えているんです。だから3月19日というのは何となく色々なものが絡んでいるという事だけはお気づきになりますね?そして、今度は、この日に、こういう色々と天の軍勢の乗り物の馬に関連いたしましてね、あちこちに行って私が、この体験。やっぱり色々とあちこちに行くものですから色々な体験をさせるんです。どうもこれ上手く行っっていないのはどういう訳だろうか?とかね。そんな事を考えていると、ある一つの事が欠落している事に気が付いて参ります。何かいい機会が無いかと思っている。そして実は過日、先程、ここにお名前が出ている Mさんという方の御宅に2年ぶりで泊めていただく。この方、色々と御信心深い方ですから、この青梅というところから、ちょっと行ったところに、これもまた埼玉県。埼玉県に今を去る事、1600年前くらいですかね?当時はお隣の韓国に三つの国があった。一番北が高句麗ですね。東方が新羅。西方が百済。そして最後に新羅というのは非常に強大となって、高句麗も皆滅ぼされてしまいますね。百済がまず滅ぼされる。そういたしまして、その高句麗の人達が、若光という王様を先頭にして亡命して参りますね。高麗王若光と言います。